きこえてきたこと

哲学、読書、文学、宗教、映画、日々のこと。

しずかにしておこう

 やっぱりわたしはやさしくないのでなにもかもうまくいかない。

 じっとしておこう。やらなくちゃいけないことがあるからたんたんと。

 そうしたらしんどいこともおこらないかもしれない。

 なにもおもいがおこらなければいいのに。

 そうしたらそれががまんにもならない。

 あしたはやらなくちゃいけないことをしあげてしまおう。

 そうしたららいしゅうはなにもかんがえずにしごとにぼっとうできる。

 

 このにっきはおくすりをのんだあとにいつもかいているので、つぎのひみたらじぶんがかいたんじゃないみたいなときがある。ふしぎ。

 

 そうだ。きょうはゆうがたへんなことがあった。せかいでいちばんあいしていたはずなのにそれがまったくなくなってしまったひと。なぜかいま、とてもわたしにとってじゅうようなひとだったとこころからおもった。なんでこんなことをきゅうにおもったんだろう。ありがとうのきもちでいっぱいになった。いまならまたあってふつうにはなせるかもしれない。ありえないけれど。ちょくせつかんしゃのきもちをつたえたいくらいのかんじょうがおしよせた。スマホでメールアドレスをよびだすところまでしてしまった。おくらなかったけど。

 じぶんにとっていやなひとがおしえてくれるひとってのはうまいいいかたのひとつだぐらいにおもっていたけど、きょうはそれがじぶんにおこったのでびっくりした。そうおもうこと、あるんだな。

 

批評家になりたくない

 例えば、自分が直接関わる社会問題があるとする。それに対して、みんながいろいろ意見を言う。こういう体制が悪い。責任者が悪い。改革しなくてはいけない。

 

 でもさ、それを変える一歩って、わたしじゃないのかな。

 手を上げないのかな。

 自分がそれを変えようとしないのかな。

 とある会議を見ていて思ったこと。

 わたしはその世界では豆粒以下の存在かもしれないけど、自分の問題だから、動くんだ。ただそれだけ。

 その問題の全体が最後どうなるなんて知らない。わたしの問題だからやるだけ。口より先に、やるだけ。

うすらさむいこころ

 わたしは多分他の人よりなにかを信じることが出来ないのじゃないかと思っている。いろいろなことを疑っている。疑念はきえない。だから常に騙されても仕方がないと先手で思い込もうとしているところもある。でもそれって苦痛でしかない。

 疑わないでいられたらいいなあ。むずかしい。自分が誰かに対して全面的に信頼しろっていえるかというと、本当のところはいえないだろうな。わたしは確実に欺く人間だ。うそをつくことの方の苦痛が少なかったらいえるけど。

 そうねえ、騙される前に離れるという選択もあるか。いまは騙されるのであればずっと騙されていたいと思う。

元気になっているのかもしれない

 昨年末の会社の健康診断の結果はよくなっていた。

 乳ガンと子宮筋腫の要観察も通常の一年に一回でよくなった。

 昨日連休明け、1ヶ月ぶりに心療内科に行って血液検査をしてもらったけど、いろんな数値がさらによくなっていた。

 体が元気になっているのかもしれない。

 メンタルはしんどいことが多いのだけど、急にきえたくなる頻度はたしかに減っている。なんかよかったこと、あるかな。

 仕事は忙しいけど、ピアノを弾いたり、音楽を聴いたり、友だちと話をしたり、好きな本をのめり込むように読んだり。そういうのがいいのかもしれない。

 

 最近、友だちがSNSに懐かしい音楽をあげていて、自分も思い出しながらYouTubeを検索して見た。10代の頃。当時のわたしと今のわたしが交錯する。変わっただろうか。変わったと思うけど、芯のようなものは同じ。じゃあ、しの芯ってどこにあるんだろう。自分の中を見回してみてもどこなのかわからない。

 年を取ると記憶が曖昧になる。社会人になってから、いや、大学生の頃からかな。目の前のことにいっぱいいっぱいのせいか記憶があまりない。子育ての記憶もなんだか曖昧で、わたしも今しかみてないのかもということも感じた。でも子どもの頃の事って思い出せるのはなんでだろう。わたしという人間が出来上がっていく過程の新鮮な驚きの連続だからかな、と思った。

 とにかく、わたしは元気になっているようだ。睡眠導入剤は続けるけど。

 

スピーカーがやってきた

 友だちにスピーカーとアンプをプレゼントしてもらった。

 スピーカーの置き場所をちょっと上目にしたのだけど、本当に目の前で演奏しているかのような臨場感。すごい。

 これで音楽を聞くのに家に帰るのが楽しみになりそう。

 アンプの「ぴろりろ」というBluetooth接続音をさっ引いても素晴らしい。

 人の声がすごく綺麗。そこで歌ってるみたい。教会の中で賛美歌を聴いているみたい。すごいとしかいいようがない。

 

 わたしのQOLが爆アゲした記念日。

『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』

アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』 ブルクハルト・クラウスナー

 ハンナ・アーレント読む前に見ておこうと思ったのだけど、全然アイヒマンメインじゃなかった!

 ナチスの大物、アイヒマンを捕まえることに執念を燃やすバウアー検事長。相棒となる若手のアンガーマン。年齢差もこころの距離もあった二人が名前で呼び合うようになる。そして二人の共通点は、ゲイであること。これがエンディングに大きく関わるのであった。

 こんな人間の心を描き出す映画だとは思わなかった。ちなみに音楽がとてもいい。わたしは好き。

 第二次世界大戦後のドイツで生きる人たちのこころの風景を切り取ったような映画といった方がしっくりくるかもしれない。見終わった後、そういう時間があったんだなみたいな感覚になる。スッキリもさっぱりもどんよりもしないけど、悪くない。

そうだんごと

 お昼前に後輩からメッセージがきた。

「今日、おひる一緒にどうですか?」

 連休の中途半端な平日。オフィス街は人も少なめだしまあいっかと思ってビルの1Fで待ち合わせる。

 実家に帰って離婚した弟と両親と昔の家族4人になっちゃったねといっていた話をしたら、急に真面目な顔で言い出した。

「今日は愚痴だけ聴いてもらおうかと思ったんですけど…わたし、離婚してもいいと昨日思ったんです。」

…え?え??

 彼女はもう10年程前かな、うつ病になって短期間休職した。ほんと短い。その後婚活して結婚したのだけど、そのときにうつ病のことを相手に告げていなかったらしい。復帰以降薬も飲まず、普通に生活している。婚活はそういう状態になってから。

 昨日、夫婦げんかの時に「おれは騙されて社会不適合者と結婚してしまった」となじられたらしい。

「実家のご家族は誰か知っているの?」「両親もきょうだいも知っていて、帰ってこいといっています」とのこと。

 実はこの後輩と話すのはコロナの一年前の産休前、トータル3年ぶりくらい。

 こんなことになっていたとは・・・。

「わたしは離婚するしかないと思っているけれど、騙されたと思っている彼に償うために何を言われても頑張るべきじゃないかとも思っている」

と言い出す。

「がんばって誰に認めてもらうの?」

といったら、黙ってしまった。

 真面目なんだよな。だから辛くなる。自分はまだがんばれていないのかもと思うんだね。

 かえりに、お母さんと相談するといっていた。

 そんなこと、がんばらなくていいんだよ。