きこえてきたこと

哲学、読書、文学、宗教、映画、日々のこと。

SPY×FAMILY おもしろい

SPY×FAMILYをAmazon Prime Videoで見たんだけど、面白い!黄昏さんがかっこいいけど、なによりアーニャちゃんがめちゃくちゃかわいい。

アーニャちゃんのかわいさだけでも見る価値があるのだけど、ちち(黄昏)、はは(ヨル)のキャラもすごく魅力的。拗れてるヨルの弟くんもいい。

 

重たい話志向な感じの自分だけど、なんだか爽快感もあり、ストーリーも楽しくて一気に見てしまった。アーニャちゃんがしゃべって動くのがかわいいから漫画よりアニメがいいのだわ。きっと。

なんかさ、自分にはない特別なものをもっているひとが突き抜けて活躍するのはわかりやすくていいのよね。

息抜き、息抜き。

amzn.to

SNSをやめてみた

 自分が投稿しても基本的に他人の投稿を見にいかないようにしてから長いのだけど、意思を持って見ないことにしてから1ヶ月近く経つかな。

 結論としては非常に快適。雑音が入らないというより、目から入った情報を勝手に自分の価値感で推測してあーだこーだ思って疲弊することがなくなった。それでも仕事のストレスでしんどいことはあるのだけど。それでもSNSを見ない方がよいなとは思う。

 そもそもSNSのなにがストレスなのか。

 なんというか、投稿を書いている人の透けて見える心に自分が評価をつけてしまうことがしんどいんだな。その「透けて見える」というのも自分が勝手に想像したことに過ぎないかもしれないのにあたかもそれが間違いないかのように感じてしまう自分。

 一周回ってそういう自分にも疲れるわけだ。

 まあ、本当に合わない人の投稿を人間関係だけで目にしてしまうのもしんどいのよね。だったら全部見なければいいわという極端に走るわたし。

 でもそれでもいいかなと思う。本当に関わる人とはリアルで関わるわけだし。わたしは目の前にいる人に心を向けたいなと思う。

 確かにネットで知り合った方たちはたくさんいるし、そういうのが楽しくてためになるなあと思うこともある。まあでも、わたしはわたしという現実、目の前を生きるのでもいいのじゃないかと思う。

 たくさんの人と知り合う必要もなくて、知られる必要もなくて、そんなんでいいんじゃないかと最近思う。SNSの画面を見て自分でない他者の世界を垣間見る楽しさもいいけど、最近はその時間を自分の読みたい本、見たい映画に振り向けている。「わたし」がしたいこと。わたしの時間。わたしがわたしのことを考える時間。という気がしている。

大塚美術館にいってきた

 ちょっと前に大塚美術館に行ってきた。

 友だちがすごくよかったといっていたので、是非行きたいと思っていた。2022年に行くと決めたところのひとつ。

 仕事でネット検索していたらバスツアーを発見したので思い切って申し込んだ。

 おひとり様だ。

 まあなにかにつけておひとり様なので別に気にはならない。

 

 4時間以上かけてじっくり回った。システィーナ礼拝堂ルーブル美術館オランジュリー美術館もウフィツィー美術館も実際に行って見てきた。「ほんもの」じゃないのだけど充分にその美しさ、絵画の力というものが伝わってくる。

 友だちにヒュー・ゴールドウィン・リヴィエールの「エデンの園の陶板があったら買ってきて欲しいと頼まれていた。わたしは全然知らなかったのだけど、実際にその絵を見たら吸い込まれるように女性の瞳に釘付け。なんて表情をしているんだろう。この世界に視線の先にいる男性だけが存在しているような。男性の顔は見えないけれど、彼の眼差しは見えなくてもわかる。感じることが出来る。いいなあ。これはいいなあ。

 わたしはスマホで写真をとってそれを待ち受けに。

 友だちには木製額縁の陶板を。

 いいなあ。「オフィーリア」の陶板があったら買ったんだけどな。

 他にもエル・グレコ、わたしの好きなヴァニタスの絵もあって大満足。本当にいい時間を過ごせた。

 また時間をおいてゆっくり来たいな。

 

 

眼鏡

 月曜の夜に、左目の目尻きわの上瞼が痛いなあと思ったら、二重部分が太くなってた。ものもらいだ。コンタクトレンズだとちょっと違和感が大きくなるので眼鏡にした。

 眼鏡で会社に行くのは数年ぶりではないかな。

 眼鏡って、フレームのせいなのかな。ものすごく見る世界を限定している感じがして集中する。本当に集中する。お陰で仕事しすぎてぐったりしてきた。

 眼鏡をしてなくても自分の世界に閉じこもっていることが多いのに、眼鏡掛けるだけでさらにきゅっと絞られたところにいるみたい。見えるところが自分の手の届くところみたいな感覚。

 仕事はかなり進んだけど全然終わらない。定時になんてまったく帰れない。

 どうしたものか。

 まあ、やるしかないのだけど。

 

 ちなみにわたしは眼鏡スキーである。突然なんの告白。

失敗だ・・・

 今日は元気でいて欲しいと思う人を逆に悲しくさせてしまうことをしてしまって反省。まったく意図していなかったのだけど猛反省。

 やっぱり近寄らない方がいいなと思うものには興味本位で近寄らない方がいいのだな。

 業務以外ではSNSに近寄らない。これが一番なのだ。見るだけもしないのだ。

 

 元気で少しでも気持ちよく時間を過ごしてほしいのだ。

 ぜんぜんわたしには出来ることがないのだけど。足を引っぱることはしたくないのに上手くいかないなあ。

 

 今晩もぬいぐるみセラピー。一緒にねる。失敗したときのかなしいきもちをちょっと吸い取ってもらう。

 

くやしい

わたしは人を信じやすいかというと、そうでもないと思う。良好な関係が続くと思うこともあるし、裏切られることだってあり得る。

自分が必死に相手の要望に応えようという関係性もあったし、自らその関係性を断つということもやってきた。

そういう経験から、基本的に人間関係なんてどうにでもなるものだと思っている。ただしそれは自分の行動、責任の範囲においてだ。

 

わたしも友人もそれなりに友好関係を築いていたA・・・友人だと思っていたAが、閉ざされたところで起った、本人が否定されたと感じる会話を公開し、どう読んでもわたし友人が悪者になっている。名前は出さないけど一人しか思いつかない感じで書かれている。Aは無関係な人に同情されることで可哀想ないい人、そして今までわからなかったことも他の友だちのお陰でわかるようになった。結果的によかったねみたいなことになっている。

なんだこれは。わたしの友人とあまり親しいとは思えない人たちがここぞとばかりにAによってたかってちやほやしている。

もうこんなのみたくないや。。。

ということで、SNSから立ち去ることにした。業務上やらないといけないことがあるからそこは仕方なくやるけど。

いくらお世話になっていた親しい過去があっても、こういうことを出来てしまうのが人間なんだなあ。SNSみなくても、関わる人とは関わるのだ。それでいいのだ。

 

自分のことじゃないけどくやしい。この気持ちも自分から起っているものだけど。

娘と話す

 今日は久しぶりに外でランチをしながら娘と話す。

 娘は一昨日5年以上行っていたアルバイトを辞めた。その経緯を詳しく聞いたのだけど、ちょっと驚いた。驚いたのは娘の考え方がすごく真っ当だったからだ。5年いる間に出来たアルバイトの仲間との連帯感。おばあちゃんから高校生まで。それぞれの都合と役割を助け合ってやっていた。大好きだった職場が店長の交代で大嫌いになってしまった。就職が決まっているのでそれまであと半年行こうと思っていたけど、アルバイトを軽く見たり、暴力を振うではないけれど、話し合いをしていて機嫌が悪かったらドアを蹴ったりするハラスメント的な行動をされるところにいる必要はないと思って辞めることにしたと。他の古参メンバーもみんな辞めることになったそうな。

 とりあえず、就職しても自分でいろいろ考えてやっていけそうだなと会社員の先輩であるわたしは感じる。大きくなったなあ。

 わたしのアドバイスは、本社のお客様相談センターみたいなところに実名でその内容を伝えたらいいというもの。だって娘はその会社、好きだったんだもの。おかしくなったのは一人の社員の行動であれば、それに気がつくきっかけを会社にあげたらいいのじゃないかと。もう関係ないわけだし。

 

 その後はふたりでショッピング。モールにある洋服のお店を全部みて欲しいものを確認して購入。わたしは娘のアドバイス通りのものを買う。二人とも買物に関しては直観主義なので、店の外から眺めてここに欲しいものがあるかを一次判断するので時間はかからない。まあ、出資はわたしなんだけど。

 たまにはよかった。

 こどもはあっという間に大きくなるなあ。