『双極性障害[第2版]ー双極症Ⅰ型・Ⅱ型への対処と治療』 加藤忠史 筑摩書房
ともだちは、「双極性障害なんだ」って教えてくれた。
それはみんな知っていることだと思っていた。
葬儀の時に、友人界隈ではわたししか知らなかったことがわかった。
大事な秘密を伝えていてくれたんだ。
心理カウンセラーの勉強をしたときに、この病気の概略は学んだ。でも本当のところどんなものなのかをわたしは知らなかった。
ともだちが、人生の中で病気のために起こったこと、その自分の状況を踏まえた上で考えていたことを共有してくれていた。
わたしはそれがどんな意味があったのかこの本を読んでようやくわかって来た気がする。わかってきたのは、それを伝えるのも苦しかっただろうということだけ。それを思い出すと、「そうなんだね」と文字通り他人ごととして聞いていたわたしってなんだったんだろうと思う。冷たくてそれでいて顔は相手を向いていて、なんだったんだろう。「そうなんだね」って言ったわたしは。
躁状態のときに作った借金で大変だったこと。
結婚式の一週間前に、相手をもう愛せないと思って破談にしたこと。
お酒が大好きだったけど、薬をのむために一切辞めたこと。
同じ読書系SNSに登録していたけれど、自分の病気に関する本をずらっと並べて読んでいた。わたしはそれに興味を持てなかった。
ピアノが上手だった。絵画も写真も才能があった。同じ本が好きだった。
撮ってきた写真を送ってくれて、「これどう思う?」って聞いてくれた。
ハマスホイの絵について、夜中にずっと話しあった。楽しかった。
「今度書いている絵を見せるよ」
といってくれたけど、それは実現しなかった。
結構無茶なスケジュールで危険を伴う趣味に没頭していたので、
「気をつけてね」
「大丈夫。一緒に行ってくれる人が慣れてるから」
という会話をしたのが最後だった。
ともだちが亡くなったとき、自身で死を選んだのではないかと感じた。遠い故郷に葬儀に帰ったのも、いても立ってもいられなくて、それが知りたくて向かったようなものだ。なぜ、どうして。
結局わからなかった。病気のことを知っているのは家族とごく少数の人だけというのはわかった。わたしはそのひとりだった。
どうしてわたしに話したのか、心当たりがある。でもそれはわたしの中でなかったことにした。誰も知らない。病気とは関係なく、ともだちの思いに応えることはできなかった。
もし死を選んだ理由が、自分にもあったのだったら。当時はそのことばかり考えていた。でもそれはともだちに確かめる術はないのだ。誰もわからないのだ。
彼のために苦しいのではなく、自分のために苦しむ自分に気がついて、葬儀の時は呆然とした。自分のせいではないと確かめたかっただけなんだ。
あれから数年の時が経って、わたしがこのことで苦しむということはなくなった。ただ、ともだちの死でわたしの生き方は変わった。ただそれだけは言える。
たまたまこの本をAmazonで見かけて衝動的に買った。読むべき時が来たのかなと思った。
いま、ともだちと話したら、わたしはどんなふうにできるかな。詮無きことを思う。そして、やっぱりちょっと辛い。それは自分の苦しみの原因が自分が安全なところにいたいという思いから来るのがもうわかっているから。それもひとりよがりなんだ。自分はそういういきものなんだ。