きこえてきたこと

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「たまたま」戦争に勝ったり、いい人になったり、死んだりしている ー『坂の上の雲』

 大分時流に遅れているかもしれないが、近代の名作だからいつ読んでもいい気もする。

 『坂の上の雲』/司馬遼太郎(文春文庫) 全8巻を読破した。

 

合本 坂の上の雲【文春e-Books】

合本 坂の上の雲【文春e-Books】

 

  ドラマを先に見ていたんだけど、いろいろあってやっと読んだ。ドラマより断然本の方がよかった。ただし、登場人物が『銀河英雄伝説』よりは少ないけど日本人の20代から60代の男性がほとんどのため、判別するにはドラマを先に見ておいたのはよかった。

 

 早い話が、内容は日露戦争。松山出身の秋山兄弟が陸軍、海軍においてそれぞれ軍人として活躍する様。そして友人の正岡子規。貧しくても、能力があれば国のために働くことが出来た。いろいろなことが混沌としていた時代。

 わたしは戦争物には興味はない。軍艦とか見たらすごいなと思うけど、たいした興味はない。戦国時代もあまり・・・。心惹かれたのは、作者が一生懸命「事実」を探し、それを再構築し、そこにいた人々の行動という「事実」にいのちを吹き込んだというところ。ただの歴史小説じゃない。いきいきとした人たちがいる。

 

 ここに出てくる人は、突然死んだり、ギリギリでうまいこといったり、勘違いして大失敗したり、でもそれが結果オーライだったりする。わたしの今の人生と同じだ。「日露戦争」の勝敗だけで言ったら、これは日本の戦争で勝利した話な訳だけれども、そこが焦点ではないと感じた。著者が日本側、ロシア側、日本側のさらにそれぞれの立場からどういう「事実」があったかを検証しながら書いているので、重複も多く、それだけ一つのことが起こるのに、人間の力なんてそれほどたいしたことではないということが迫ってくる。すべてはたまたまなんだ。偶然と言うより、「たまたま」という語感の方がなぜかしっくりくる。

 「こういう事実が起こったのはなぜか」ある程度は説明できるかもしれない。でもそこには「たまたま」の要素の方が多分に含まれている気がする。

 主人公の秋山真之は、この戦争は人知を超えた力のはたらきがあったと信じ、戦後はそういうスピリチュアル的な思考を持った言動をしたと言われている。真之は、「たまたま」勝った側にいたから、それを「神仏」による力と思ったんだろう。では大陸においてその軍事力を誇示していたロシアがまさか極東の島国に戦艦をすべて撃沈されるような負け方をするとは・・・「悪魔」のせいとでもいっていたのだろうか?でもそういう考えになってしまう気持ちはなんだかわかる。絶対に勝つための戦略を突き詰めて突き詰めて考えていったときに、それを超えるものがあったときに、そう思うんだろう。本当の努力をした人は。

 登場人物のひとりひとりもすべての瞬間、英雄だったり、悪人だったりするわけではない。わたしもいいひとだったりわるいひとだったりする。心の中はずっとわるいひとかもしれないけど。でもそういういいときとわるいときがちゃんとでていて、そこに生きている人間がやっていることだというリアリティを感じられた。どこかのスーパーマンがやっている戦いではなかった。

 そして戦争礼讃にはまったく読めない本であった。のちに乃木将軍の伝説が出来たり、陸軍の方向性がおかしくなったり、そういう道筋がどうできたかを少し垣間見させてくれる終りとあとがきだった。

 

 途中、何度も泣きながら読んだ。これは戦争への悲しみではなくて、わたしたち人間というのはなんともならん中で生きていくしかないのだなと言うのを、この本の中で生きている人たちから教えられた気がする。いまを生きるわたしもそうなのだ。こんな世界はいやだと言っても何も変わらない。すべては起こっていく。

 著者はちょうど私くらいの年齢でこの本の下準備をし、書き上げている。すごいな。これだけのひとの人生をずっと調べて、その瞬間の状況、ひとびとの気持ちも考えて、すごい作業だな。ただただ素晴らしい。そしてこの本を読めてよかった。