きこえてきたこと

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『ビューティフル・マインド』 こんな映画だったんだ!

 朝からAmazonのサイトを開いていて、Prime Videoでも見ようかと思っていて、クリックミスで開いちゃった映画をそのまま見た。

ビューティフル・マインド』 2001年 ロン・ハワード

 

ビューティフル・マインド (字幕版)

ビューティフル・マインド (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 生きるすべてに忙しくて映画なんかまったく見なかった時代のアカデミー賞主要四部門受賞作品。

 最初は、『レインマン』や『博士と彼女のセオリー』みたいな、いわゆるフツーじゃない天才の成功譚みたいなやつかなと思っていたのだが全然違っていた…。

 中身のネタバレをさけると、実際に1994年ノーベル経済学賞を『ゲーム理論』で受賞している数学者のお話。実話と映画のストーリーにかなり差があるようだが、統合失調症の幻影と幻聴に苦しみながら歩んだ天才の人生のお話だった。

 

 わたしは身内に統合失調症の罹患者がいる。もう最初の発症から10年以上経つが(その前段階の鬱症状含めたら20年以上か)、今も薬を飲んでいる。

 2回、自殺未遂をした。一回はそのまま格子戸のある病院に即入院になった。前日にわたしに電話がかかってきた「すごく悪い集団に狙われてないか心配だ」とわたしに何度も確認した。何を言っているのかと思ったら、幻覚・幻聴の影響だと後でわかった。

 入院してすぐに面会に行った。わたしが生きているかどうかを心配しているというのもあったので。完全にいつもの状態じゃなかった。聞こえるはずのないことが聞こえているのがわかった。あれが演技だったらすごいな。

 いまは仕事にも復帰しているが、近くにいる家族の負担はものすごいものだった。この映画では乗り越えた夫婦の美しい物語になっているが、現実はそうでないことも多く私の身内も現在あの苦境を共にしたのはなんだったのだろうかという状態だ。家族の苦悩をジェニファー・コネリーが素晴らしい演技で見せてくれる。この映画一いい。

 

 途中からただの映画として見れなくなってしまった。当人と話していると本当に何が正しくてなにが嘘なのかわからなくなってくる。そんな中でずっと生きていく。本人も自分がおかしいとたまに気がついたり、そうでないと頑なになったり、一進一退の状態が何年も何年も続くのだ。その中で「自分が役にたちたい」という思いを成就することがいかに難しいことかと。映画の最初のころ、コミュ障気味の自分を認識したジョンはこの台詞を言っている。

 天才数学者のジョン・ナッシュはそれが出来た。統合失調症に限らず、なんらかの病気や障害と呼ばれるものを持った人はもちろん、まあでもいったらなんの特徴もないふつーの人間は「自分が役にたっている」という承認欲求を満たすことは非常に難しい。自分の出来ること以上を求める欲だからかな。この「認めてもらいたい」という欲求は底がない気がする。

 この映画を見て、「すばらしい!」という感情は何に対して起こるのだろう。病気の苦境を超えたことだろうか、家族の支えだろうか。やっぱりノーベル賞の受賞だろう。これでこのまま病と共に静かに亡くなったというエンディングでは終われないだろう。それではどこかの家庭でもある話になってしまう。

 やはり人は、他者のマイナスの状態からの盛大なる承認欲求の充溢を持って感動するのだろう。ということを別の頭で見ながら思っていた。生きているだけでいいということでは終われないのかな。やっぱり「役に立つ」ってところから人間はでていけないのかな。

 驚いたことに、2015年にジョン・ナッシュ夫妻は交通事故で共にお亡くなりになっていた。なんとも数奇な運命だ。人生にたまたましか起こらないことが、彼らの上にはどれほどあったのだろうか。