きこえてきたこと

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『桜の樹の下には』 死が美しく見えるのは

 たまに読みたくなる梶井基次郎

桜の樹の下には

これAmazon青空文庫にあるのでKindleお持ちの方は無料で読めますよ。 

  桜の樹の下には屍体がある。

 桜の美しさはその根の下にある生物の循環にある。もっと言えば腐り爛れゆく屍体。それを栄養として美しい花を咲かせる。

 蜉蝣が孵化し飛び立つ美しい光景。生まれ、生きるという瞬間を見る。そして渓の奥では水面一面を埋め尽くす交尾後の蜉蝣の死骸。それを見ることに歓びを見いだす人間の奥底にある何か。これってわたしの中にもある。きっと。

 「桜は散るから美しい」って言ってるのはまだきれい事の段階なんだ。生命が続いていくという残酷さを見て初めてわかることがあるのだと思う。

 わたしたちは食べて生きる。ビーガンとかベジタリアンとかいろいろな嗜好があるけど結局わたしたちの「生」って他の生物の死があって成り立っている。食物連鎖の世界。そして生き物には寿命がある。生まれて、死ぬ。

 それをみつめる。他者の死は冷静に見られる。そこに美しささえ見いだせる。残酷なまなざしで。翻って自分の死となると、想像しても絶対経験できない。死は経験できない。この世に死を経験した人などいない。他者の死をもって想像するしかない。誰も知らない。死の根源的な恐怖は消せない。その恐怖を振り切るために自分以外の死に美しさを見いだすのかもしれない。怖くないと思うためなのか、安心したいのか。忘れたいのか。

 そんなことを思う。わたしは死が怖いというより愛する人がいる世界が続くのに自分の世界が勝手に終わるのが怖い。自分の世界が終わらないかもしれないけど。その証明は誰も出来ない。