久しぶりにゆっくり映画を見られた。
フランス語の響き。ひさしぶり。ちょっとだけ勉強したことがある。
首から下が不随の富豪が世話係として前科者で経験も何もない黒人男性を雇う。その対極的なところか醸し出される感動のストーリーかと思いきや、本当のところはここにあるのではなかった。
富豪のフィリップのことを、「あんたは不幸だ」とはっきり言う。ドリスという貧困層のなんの未来の保証も金もない青年の価値観で「不幸」だといわれる。フィリップが欲しかったのは彼の財産を気にした言葉ではなく、そういうストレートさだったんだろうな。
ドリスは自分の「幸せ」をフィリップに押しつけ(って言う感じがする)、フィリップは自分の「好きなもの」、アートやクラシック音楽をついでに見せている(ここは控えめ)。ふたりとも相手の好きなものを受け入れていく。これって文化の違いとかいう大それた者じゃなくて、本来わかり合えない個人と個人の交流。お互いがお互いに流れ込んで影響し合っているような感じ。たまにこういうことってあるよね。すべての人とこういうことが起こるわけでもないけど。
たまに思う。今こうやって映画を見て、そこから得た感情がわたしというなにかに溜まっていく。本もそう。人との交流もそう。わたしはわたしの経験したことで出来ている。それがちょっとしたことであっても。
フィリップがすごい物わかりがいい人なわけでもドリスが善人になっていわけでもなく、それぞれたまたまそういう立場の人間だっただけで、そういうものを超えてわかることがあるということ。影響されて、生きていくということ。
なんとなく元の実話のドリスの方の方は黒人じゃなかったということで、その辺りが「人種の違い」を超えたを強調したい感じを受けるのだけど。
人間と人間は、わかり合えないけど、影響し合うことはできるんだ。
これって障害者×健常者、白人×黒人という話じゃないってこと。
こちらもよかった映画。