きこえてきたこと

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『V フォーベンデッタ』 本当のわたしはどこにいるのか

 

 友だちが久々にマトリックスみたいっていうから検索したら、こちらがヒット。エージェント・スミスヒューゴ・ウィービングが一度も顔出しなしの仮面のみ。そしてヒロインのイヴィーはナタリー・ポートマン

 これは抽象的な映画として見た方がいいのかなと思う。見た方が解釈することを委ねられているシーンもあると思う。

 自由がなくなった英国。独裁状態にあるが、国民は一見、護られた「幸せ」の中にいる。この作品は2006年。15年前。人種問題よりLGBTを取り上げている。独裁者(ヒトラーっぽい)、聖職者の汚職、人体実験、人権侵害、LGBT迫害、ビッグ・ベンの爆破もあり英国民にとっては結構な衝撃作だったと思う。スティーブン・フライがゲイを隠して生きているプロデューサーとして登場するのもすごい。

 へんなお面におかっぱなのだけど、V(ヴィー)はすごく魅力的なのだ。変人だし殺人もするし爆破事件も起こすけど、どうしてなのかかっこいい。Vの仮面を取って顔を見ようとするイヴィーに「仮面の下の皮膚も筋肉も、わたしではないのだ」というV。ああ、わたしもそう。わたしってなんだろう。わたしというものを顔で説明するの?わたしという存在はどれがわたしとして明示できるものなのだろう。

 最期のシーンでイヴィーは、Vは誰でもであり、あなたであり、わたしであるという。なんだろうこんなに顔の見えない主人公なのにこんなに存在感があるなんて。

 とにかく好きなのだ。この世界観が。