きこえてきたこと

哲学、読書、文学、宗教、映画、日々のこと。

ゆめをみた

今日は6時にいったん目が覚めたが、二度寝をしてしまった。

夢を見た。

 

娘と息子が小学生くらいで、観光バス(?)高速バス(?)に乗っているが、お姉ちゃんがトイレから帰ってこない。それなのにバスが出発してしまった。そこから夢がスタート。

携帯で連絡を取ろうにも、夢の中でうまく番号が押せない。運転手のところに行って、止めてくれと訴える。わたしは比較的焦っていない。娘の無事を確信している。でも探さなくちゃ!と思ってテキパキ行動している。バスが停止して、目が覚めた。

7時20分だった。

まじかよ。

 

必死で用意してギリギリの電車に乗る。

3日ほど連絡してない娘にLINEを送る。

「おはよう。ひさしぶりにKの夢を見た。どっかに観光バスで一緒にいってて、Kが休憩中にトイレに行って戻ってこない夢。元気?

 Kをさがさなくっちゃ!と二度寝から目が覚めて遅刻しなくて済みました。ありがとう。体調にきをつけてね。」

送りながら、わたしは思った。わたしはまだ子供を探そうとするこころがあるのだと。それで目が覚めることがあるんだと。

「どんな夢みてんの。トイレ長いとかいうん??ありがとう。お母さんもきをつけて。」

不思議だけど、わたしはこどもたちに心配される。お母さんは変わってるって思われてて、あんまり心配しなくていいよっていつもいわれる。わたし、余所ではそんなこと全然ないのにね。なんでだろう。弱い者扱いされる。そんなわたしをまだお母さんと呼んでくれる。

わたしは欠陥のある人間だ。完全なお母さんにはなれなかった。でも母と呼ばれる。呼ばれると、うれしい。でも、謝りたくなる。

 

今日はお昼に宗教哲学の本も読んでいて、久しぶりに見たドロドロしたSNSもみて、お風呂に入って考えて、気がついたことがある。わたしは絶対に裏切らないわたしを見てくれる存在が欲しい。わたしは裏切るよ。そんな人(でいいのかな)この世界ではありえないのだけど、そう思っている。それがわたしの求めるすくいなのかなと思う。ありえないという事実を完膚なきまでに突きつけられることでもいい。絶対に私を裏切らない存在か、それが絶対に存在しないという証明のどっちかでいい。

そんなことを考えていた。

二度寝で始まった一日。