きこえてきたこと

哲学、読書、文学、宗教、映画、日々のこと。

『一九八四年』 ジョージ・オーウェル

 

 SFなら気分転換になるだろうと思って選んだ自分が浅はかであった。

 重い。なぜに重いのか。

 完全に管理された社会の姿を見せられるから。そこはビッグブラザーがすべてであり、戦時下であり、常に過去よりもよりよい状態になっていく世界。矛盾は過去を書き換えることで修正されていく。

 生殖はあくまでも子どもを作るためであり、親子といえども子どもは親や大人を監視し子どもの残酷さでその思想的な危うさを通報という形であげつらう。

 これネタバレで書きたくなるね。感想。

 もともと反共の小説といわれていたようだけど、自分はそんなことよりこういうことが現実に起こったらどうしようで読んでしまった。素直に。

 わたしはたまたま現代の日本に生まれているけど、この世界にたまたま生まれたらいきていけるだろうか。それが頭の片隅から離れなかった。

 

「ニュースピーク」

その世界で進められている新言語といっていいのかな。言葉の外の余韻をすべて取り去るイメージ。『論考』書いているときのヴィトゲンシュタインなら受け入れられるかもしれない。厳格な単語の意義。あそびがない。そうすると伝わりやすくもなるのは確かだけど…。

二重思考

矛盾するふたつのことを同時に受け入れる。これはちょっと宗教的な感じがしないでもない。宗教ならある気がする。ニュースピークで言語が間違いないことを指し示すが故に、矛盾が生じた場合は「過去」が修正される。

宗教か。。。ビッグブラザー教だもんな。たしかに。

 

主人公のウィンストンが最後にビッグブラザーへの忠誠の思いでいっぱいになったところで終わるというのってちょっと考えさせられた。

絶対のビッグブラザーがいるから、それにたいするゴールドスタインという真反対の「人民の敵」がいる。でもこれを作り上げているのはビッグブラザー側なのじゃないかな。ビッグブラザーを絶対たらしめているのがビッグブラザー側であるので本当は「絶対」にはならない。自作自演だから。なんかこういう二項対立って気持ち悪いね。絶対の悪がある方がまだわかりやすくてすっきりする。

現代のわたしたちって、こういう世界にもうすでにいるってこと?自分がぐらぐらしてくる。

わたしが101号室に入ったら、そこになにがあるだろう。