人間って、ちょっといい自分でいられるように先回りして考えることからスタートするような気がするんだよね。
ちょっといい自分を思うから、ギャップに苦しむ。それに囚われて思い悩んで後悔するほどじゃなくても日常でそんな瞬間って多いような気がするんだ、わたしの場合。苦しいのは思ったのとちょっと違う自分がいると認識するから。それだから「自分」がいると感じられるとも思う。
夜中に眠れなくて、本も読む気も起きなくてただじっとしているときに、自分っていつから自分でどれが自分だろうと考えてみる。小さいときの記憶も辿ってみる。どこからなんだろう。記憶の最初は、ある。自分が覚えている最初。
結婚して名字が変わってもわたしは変わらなかった。名前には依らないらしい。
じゃあどこにわたしはいるんだろう。名前がなくてもわたしだって認識してくれる人はどれだけいるのだろうか・・・と、とりとめのないことを考える。
まあ、自分でも今の自分しか「わたしです」って言えるものはないのかもしれないなあ。