きこえてきたこと

哲学、読書、文学、宗教、映画、日々のこと。

未完成の中にあること

 ともだちが読んだ本の話をしてくれた。

「一生懸命先人の話から考えて、なんとか自分の身の中に納得できるようなものを探していた。本や思想としては完全な纏まりのあるものではないけれど、次へ(次世代)へつながるプロセスが生々しく、困難な時代の中で考え抜いたことのすごさがあった」

わたしの印象で言葉を置き換えて書いたけど。こんな感じ。

完全じゃない。まとまりがない。でもそのなんとか自分の「求めるもの」を考えて考えて考え抜いた人。オシャレなカフェでカフェオレを飲みながら執筆したわけではない。生きるか死ぬか、生きていても、存在を否定されるような状況において考え続けたということ。

 

 「がんばったから報われたい」というわたしの思いは消えない。小学校や中学校などで、「がんばっていればいつかいいことあるよ」といわれたけど、実際はそうでもないことを大人になって知る。

 きっと現代社会に生きるわたしより、不条理の中で生きているこの人は、そんなことは身に沁みて、当たり前に思っていただろう。

 苦しみの中求め続ける中に、第三者が、後にその著書を読む人が、完成していないそのうねり続ける形にならないものの中に、これまた形にならないものを心に呼び覚まされたんだろうなと思った。

 

 わかりやすくて、結論がある話を聞くより、その人が考え苦しみいまそこを辿る話を聞くときに、わたしの中の何かが呼応して呼び覚まされる気がする。わたしたちに「わかる」ことってどれくらいあるのだろう。なにかを「完成」だといいきれることはあるんだろうか。わかった気になること、自分で勝手に思うことはあるけど。完成じゃないってことはある意味ほんとうのことの様な気がする。

 

 ともだちの読んだ本はまだ読んだことがないので、いつか読まなくちゃ。こう思わせるような、ともだちの感想というか、話だった。そこもすごいのだ。