きこえてきたこと

哲学、読書、文学、宗教、映画、日々のこと。

不眠症悪化

 実は不眠症が悪化していました。
 少しずつ目が覚める回数が多くなっていって、水曜の夜にほぼ完全徹夜に近い感じになり危機感が。

 木曜の夜は朝4時にちょっと寝た感じがしたのですが、スマートウォッチで見るストレスがずっと起きている状態でもうどうしようもなく。アロマのお風呂にしてみたり、マッサージしてみたり、いろいろやったのだけど…。

 

 会社でも頭がぼーっとしてきて午後半休でお医者さんに行くことにしたら、なんと!先生が学会で金土お休み。

  

 とりあえず,お薬を1.5錠飲んでみました(インターネットで上限確認済み)。

 それによりなんとか寝られた…!でも起き抜けの感じがいままでより重いので勝手に増やすのは今回限りにしようと思います。

 

 寝られない原因について考えたけど、今回はメンタルとフィジカル五分五分かな。めちゃくちゃ身体が凝ってる。電動マッサージでやっても追いつかない…。肩は自分でもいつもより硬いと自覚あり。でもメンタルのせいで身体が硬くなってるのかな???

 仕事を割り切って出来ないのがわたしのだめなところなんだろうな。友だちに指摘される。前よりはうまく適応できているとおもうのだけど。お給料のためだと割り切っているつもりだけど、どっかで無理しているのだろうな。納得がいかないことをこころのどこかに留めてしまってるのだろうな。わたしはめんどくさいひとなのだ。

 

 連休はぬいぐるみとゆっくりすることにする。台風も来るしね。

『力の指輪』原作フリークも納得

 Amazon Prime Videoでみられる、『力の指輪』のドラマシリーズが良い!

 原作と映画が大好きなのだけど、違和感がない!ピーター・ジャクソンの作品以上の映像化は難しいだろうと思っていたけど、ちゃんとトールキンの世界だった!

 オリジナルストーリーとキャラクターがどうだろうかとみる前は思っていたけど、これはこれでいいと思えた。

 毎週金曜日にニューストーリーが公開されるので週末が楽しみ。

 

◆予告編 

 

◆『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ

 

人間・ボロミア。ショーン・ビーンの演技がすごい。

三回映画館に見にいきました。戦闘シーンが圧巻。

ホビットの偉大さ。

 

あと一日!

 木曜日だ。

 もう在宅勤務をしなくなって半年。週に5日会社に行くのにも慣れたし、満員電車もコロナの感染者数とは全然関係なく前に戻ってるし、なんてことのない毎日なのだ。

 今週は夜の打ち合わせも入っていてとても活動時間が長くてしんどいのだ。

 20代の頃は朝の4時まで飲んでも次の日平気で会社に行けたのに、いまや酒も飲まないし、飲み会も行くことすら苦痛という変わりよう。コロナのお陰で行かなくて済んでいるところはよかったと密かに思っている。

 金曜日が終わったら土日!

 月曜日に同僚が、

「今日、金曜日の気分だった。もうどうしていいかわからない」

といっていたので、木曜の夜にあと一日だ!と正確に把握している分わたしはまだ元気なんだろうと思う。

 今日は睡眠導入剤が早く効いてぐっすりねむれるといいんだけど。

 しんどいのがたまってくると、また眠れなくなってくるんだよな。気をつけよう。

 

自分のこれから先について思うこと

 今日、会社の偉い人のお話を聞く機会があり、今後の再雇用制度が大きく変わることがわかった。

 わたしが定年になるころには定年自体が65歳になるか、再雇用は70歳までは確実に延長されそうである。

 はたらきたいのかな、わたし。でも生きていくためだったら仕方ないな。会社に行かないとぼけてしまう気もする。コロナの始めの頃、3ヶ月ほど在宅していておかしくなりそうだった。

 ずっと本読んでいたい。老眼、そろそろきてるけど。

 最近、退職金とか今後の貯蓄とか一気に計算をしてみたりもした。

 そのときに出てくるのが、

「わたしは何歳まで生きるのだろう」

 これを仮定してみないといろいろ計算が出来ない。。。

 明日死ぬのかもしれないのに、85歳、90歳までのシミュレーションとかしているのですよ。おかしなこったい。

 どこに住んでてもいいけど、自分で買物できて公共交通機関に乗れるところがいいなあ。狭くても本棚が置けて、おふろがついてる。壁は厚い方がいい。いまのところにずっと住めたらいいのに。でもなあ、ねこが飼えないんだよな。そこが問題。

ひとつひとつ片づける

 仕事があまりいい感じで進んでいないのだけど、淡々とできることをやる。

 これってもっと良い方法がないかと考える。あんまり気が進まないことに手をつける。いろいろ試す。

 仕方なく始めたこともやっていくうちに自分に合うように変えていく。

 やる気はでないけど、身体を動かすことを最初にしてみる。

 なんとかなる。

 年をとるごとにこのきっかけを掴むのが難しくなってきた気がする。昔はもっとパッと動けた気がするのだけど。

 こころはしんどいのだけど、とりあえず頭と手を動かすのだ。

 

 今の仕事を辞めたとしてもきっとなにかでこういうことにはなるのだろうなと思う。生きている限り。

 仕事をしなくなったらどうなるんだろうということをたまに考える。

 

 

わかっていてもおちこむ

 仕事上のことで落込む。

 でもよくあることだとわかっていても、落込む。

 こういうのを乗り越えるのがサラリーマンだってわかっていても、落込む。

 他の人が同じ立場になっていたら、「気にしなくて良いよ」っていっちゃうようなことなんだけど、落込む。

 落込んでいるのは、わたしのどこかにもっとbetterにできたのではないかというところがあるから。

 どこかで手を抜いていなかったかと点検する気持ち。

 これを回避する分岐点はどこだったのかを探る気持ち。

 でも多分正解はない。わたしが正解かもしれないと思うだけ。

 

 多分、寝たら治ると思うのだけど、点検する気持ちは忘れないようにしよう。

 さてさて、ぬいぐるみセラピーの出番だ。

愚痴

 わたしも愚痴をいうことがある。

 でもなんというか、人に聞いてもらってすっきりすることなんてないと思う。

 SNSがいやになっている。これは定期的に起ることなのだけど、そういうちいさな愚痴が流れるように見せられている気がする。ある人はそれを共感を持ってやさしくしてもらうことも含めて書いている気がする。他者になにか反応して欲しいというのが見えるものはわたしはスルーしている。

 多分、わたしには他者に共感するキャパシティというのあって、それがいっぱいになってしまったら、本当に大事な人にこころを振り向ける余裕がなくなってしまうかもしれない。だか愚痴は割とスルーする。

 避難もしない。そうなんだと遠くから見る。

 

 自分の愚痴は、聞いて欲しい人に「愚痴です」といって聞いてもらい、「ありがとう」で終わるようにしたいと思う。

 愚痴は悪いことではない。でもそれを見知らぬ他者とこねくり回すより、適切なところで吐く方がいいなとはわたしは思っている。

 いまはぬいぐるみがあるのでだいぶんまし。