きこえてきたこと

哲学、読書、文学、宗教、映画、日々のこと。

鏡の中のわたし

 まだまだ会社を休んでいる。3ヶ月目に突入。会社と傷病手当の件でやりとりを始めた。

 会社を休むというデメリットがあると思う。でもわたしはこれでよかったと思っている。本当に疲れていた。どこかで止まって自分のことを考える必要があったと思う。どこまで深く自分のことを考えているかというと、匿名であれこういうブログに書くことでもないし、あくまで自分の中。

 自分は結局何もなし得ない人間だということがわかった。理想があってもそこに邁進しているわけではなくて無駄な寄り道ばかりしてそこから外れていく。自分の能力を過信してここまでなら自分は出来ると思っているが、全然そんなことはなかった。こうやって書いていくとなんだか自己卑下で悲しんでいるだけではないかと思われそうだけれど、そうやって頑張りすぎた自分を一旦受けとめるというのがわたしには必要だった。そう。わたしはいろんな人の助けがなければ生きていけない存在なのだ。

 先日実家に帰って、両親との関係についてもちょっと思い直した。やはりわたしはこのふたりがいないとこの世に生まれてこなかったのだ。わたしは生まれてきてよかったといま思っている。だからやはりそこは感謝になるなと感じている。

 子どものことに関しても、元夫によく育ててくれたなと思っている。それ以前に彼らの自分を大事にして、他者も大事にする姿を見て、わたしが育てたらこうならなかったかもしれないという思いも湧く。子どもに教えられることが多い。

 人間として自分が如何に欠陥しかないのかというのを味わっている。ずっと。なんだか今日は朝からそういうことを考えている。

 さっき、買物に行こうと思ってちょっとだけ化粧をするのに手鏡を見た。自分が映っている。半世紀近く見ている顔。ずいぶん変わっては来たけれども。

 ちいさいときに、母の三面鏡で遊んでいて、自分の目で自分が見られないことに気が付いてびっくりしたことがある。合わせ鏡をしたら、どこまでも自分が映っているけど、自分の目で自分を見ることは出来ない。

 今日鏡の中にいるわたしも、ただの鏡に映ったわたし。わたしはどうしても他人から見たらどうだろうと考えたり、自分の中で片づけたい順序が必ずしもベストなプライオリティに基づいてない選択をいつもしている。まあ、ちょっとバカなのだ。他人にこうなんだと説明できない理由でバカなのだ。今日はそういうことを思って鏡の中の自分に、いままで苦労させてきてごめんねという気持ちになった。すごく不思議だけど。そうしたら自然に涙が出ててきて止まらなくなった。

 わたしはわたしにごめんねといったのだけど、そのごめんねはどこに届いたんだろう。ただなんとなく、いままでより自分がしっくりきた感じが今はする。

 

 さて、自分の食べたいものを作るための買物にいってこよう。