今日は友だちが、わたしの知らなかった時代のとある動画を見せてくれた。友だちの歩んできた道は聞いて知ってはいたけれど、改めて動画という形で昔を見せてもらったときに、ああ、人の言葉ではこういうことは全然伝わらないのかもしれないと思った。わたしの人生だってわたしが他者に語ったって、「ああ、そうなの」というものだ。そういうひとりひとりが側にいてもわからないものを背負って生きているんだなと思う。
両親だってそうだ。18歳まで一緒に住んでいた。もうそれ以上の期間を離れて暮らしている。そしてわたしが産まれる前の彼らの時間もあるのだ。
絶対他人の人生はわからないということをすごく腹の底に感じた。
他人の話を聞くときの自分の軽さもあるし、本当に他人の生きてきたことを聞くということが出来ないんだなと思った。言葉で伝わることもあるけど、それ以上なんだ。本当に。生きているだけですばらしいっていうけど、生きて歳を経るっていうのはすごいことなんだ。わたしもここまで生きたのはすごい。でもきっと今日の感覚はまた忘れてしまうのだろう。
実は体調が悪い。体調が悪くて不安な中、いろんなことを考えてしまった。わたしの人生を誰かに伝えたい、見て欲しいとかまったく思ってないけど、それって虚しいのかなとか。いまのこの身体の辛さがなくなればそれでいいとしか思わない自分と、調子のいいときになんでもやって成果を出したいと覆う自分の落差。
今日思ったことを忘れてしまうだろう自分がかなしい。