最近ふと思うのだけど、自分のやること、努力、思い・・・そういうものが、相手よりも強い、優ってると思ってしまうのは、自分の特性なのか、みんなそうなのか、人間はそういうものなのか、考えてしまう。
すごくわかりやすい例えでいうと、
・わたしが仕事の際にしている「努力」は、同僚のそれより多い。
・わたしが相手に寄せる「好意」は、相手がわたしを思ってくれるより大きい。
・わたしが今話している相手にする「気遣い」は、相手がわたしにするより多い。
というようなこと。わたしが相手より多く負担している。犠牲を払っている。みたいな感じかな。書いているうちにそんな気がしてきた。
そうか。だから、わたしがこんなにしているのに、どうしてリターンがないのかというところに行き着くのだな。やっぱり全部、損得なのだなあ。これは単純化した話だけど、たぶんわたしが生きていく上で、あらゆることをこうやって比べて見ているのだろうなと思う。
たまに、すごくきえたくなる。なんというのか、もうこんな自分はなかったことにしたい、なくしたいみたいな感じかな。
今日は体調が悪くてじっとしていたので、こういうことをぐるぐる考えていたらきえたくなってきた。どこまでも自分のことをみていたら、しんどくなってしまう。自分では意識していないけど、ずっと考えていると、ああ、こういうことばっかりだなと思う。それを仕方ないと自分で自分にいえるときは大丈夫なんだけど、たまにいえなくなって、きえたくなるんだな。というところまで今日は考えた。
今読んでいる本に、宗教的なボランティアをする人が出てくる。わたしはひょっとして自分でそれを選ぶんじゃなくて、誰かにそれをやれっていわれるのを待っているのかもしれないふとそんなことを思った。それもずるいことなのだ。自分で選ばないのだ。なぜか他人にいわれることを望むのだ。それはきっと自分で選んだら、さっきの「わたしがしている努力に見合うかどうか」の心が出てくるからだろうな。だからそれを課してくれるものを探しているのかもしれない。そういうことを漠然と思う。でもそのときだって、「それを課すもの」がわたしに対してそれをするに見合う存在かどうか自分で判断するんだろう。もうどこまでいっても止まらない話。
体調がよくなってきたらきえたいきもちはなくなった。
でもこれを考えたことを書き留めておこう。