きこえてきたこと

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母の日

 もうなんとも思わなくなったけど、自分の母に対してはご所望のものを贈ってある。そしてただ、「ありがとう」と。

 

 娘からは「好きなことを一生懸命しているお母さんが好き」といわれた。わたし、そんな好きなことばっかりしてんのかな。まあそう見えるんだろう。子供たちがわたしを母とみてくれているから、わたしにとって母の日は別に特別の意味はない。

 

 少し前までは、「母の日」がなんもなかったらちょっと寂しかったけど、今は別になんともなくなってしまった。ただ自分の母はそうじゃないと思うので、義理的に行っている。そういうところがだめなんだよな。普段からいろいろ贈ったりしているけど、なんかわたしのこの行為に関しては、理想の娘であるためにやっている節がある。自分に嫌気がする。

 母へなにに対して「ありがとう」と言ったのだろうか。産んでくれてありがとうというのもなんかちょっと違う。苦しいわたしには。いつも気に掛けてくれてありがとうはもっと違う。母が気に掛けているのは、自分の思ったような娘でいるかどうか。

 いい母親だと思う。教養があって、なんでも自分で決められて、善悪もはっきりしている。子供に対しての意見もはっきり言う。でもわたしは苦しかった。母親の善悪のラインがわかりすぎて、そこから動けなくなる自分が苦しかった。

 憎しみを持っているわけではない。ただ、ごめんなさいという気持ちにしかなれない。苦手だという気持ちしかない。

 結果今に至って、母親の思うような娘にはなっていない。親戚で葬式があっても、「来なくていい」といわれる。それはわたしの仕事を慮って言っているのではないともう気がついている。わたしは両親が死なない限り、地元には帰らず、親戚づきあいもすることはないだろう。

 

 離婚するというのはそんなに恥ずかしいことなのだろうか。

 まあ、わたしはわたしの道を進むだけなのだ。