きこえてきたこと

哲学、読書、文学、宗教、映画、日々のこと。

他人のかなしみがわたしの中で

 感動する話、でもわたしはかなしみの話がとても辛い。

 辛いというのは、そのかなしみをその人になったつもりで感じて、わたしという人間の人生経験からの想像上なのだけれど、その余韻がなくならない。切り替えにくい。

 多分普通は自分の身に置き換えて考えるのだろうけど、わたしはちょっと違うのかもしれない。前に友だちと映画を見た後に感想を言い合っていたときにちょっと違うといわれた。例えば、「難病の子供の死を看取る」という話を聞いたとすると、自分の子供が死んだらということに置き換えない。そのままその人になったつもりで(わたしの人生経験で)聞くというと伝わるかな。そういう感じ。他の人がどうかわからないからそれが変わってるのかどうかもわからないけど、わたしはそうなんだ。

 今日はいっぱいかなしい話を聞いてしまって、その余韻のせいかきえたくてたまらない。かなしみをなくしたくてたまらない。自分の経験じゃないのにおかしなことになっている。頭の中ではそれは「聞いた物語だ」とわかっているのにその影響だけが自分の身体に残っている。心なのかな。身体なのかな。とにかく残っている。

 その場から帰ってきて、意味もなく電車に乗って隣の駅まで行って、別の改札から入って直ぐ帰ってきた。なにをしにいったのか自分でもわからない。なにかをしている人になりたかったのかもしれない。

 治まるまでどうしたらいいだろう。