きこえてきたこと

哲学、読書、文学、宗教、映画、日々のこと。

『無能の人 日の戯れ』 つげ義春

 

 ちょっとうっかり読んでしまった。

 これ、わたしが知っている時代のちょっと前の匂いがするんだよね。祖父母や両親の話、建物、映画、ちょっと前のものをみて、「ああ、こういう時代があってその続きが今なんだ」と自分のいる居場所を思う。

 なんだかおおらかで大雑把で適当なんだけど、悲しくて切なくて、いつの時代の人間の苦しみみたいなものって変わらないんだなという気がする。

 

 主人公は本人なんだろう。漫画家だけど漫画家以外をなぜか模索する主人公が、河原の石を売る「石屋」を始める話が面白かった。現代社会人にはその発想がわからないけど、まあなんというか、夢の世界の中でだったらいいかなみたいな、変にゆるせるなにかがある。石屋って、俺はこれで身が立てられる、自分で考えて出来るという自信を得たくてやるのだろうか。どうして漫画じゃだめなんだろう。本当のことに向き合って挫折したら生きていけないからだろうか。

 わたしがなんだかんだ文句いいながら会社員を続けているのは、本当にしたいことじゃないからかもしれない。わたしは本当にしたいことを失わないようにとっておいているだけなのかもしれない。だからわたしもある意味石屋をやっているのかもしれない。

 もうひとつ思ったのが、登場人物が全員気持ち悪い。ああ、人間って他者にとってみたら本当は気持ちが悪いものなんだな。わからないから。ということを考える。深い。これは深い漫画。