最近読んだレヴィナスに関する本で、「存在は気分となって現れる」というようなのを読んで、ああなるほどと思う。
わたしは自分の気分に振りさっきまでさっきまで苦しかったことがなにかに集中してそれがなくなったかのようになったり、いままで楽しい気分だったのが一瞬で悲しみに転じたり。それが「わたし」なのである。
こういうのから自由になりたいと思うよなあ。でもそんなの生きている限り無理なわけで。「こうすれば生きやすくなる」「楽になる思考法」みたいなのがたくさんあるけど、たしかに思考を変えればいいという論理はわかるけどそう一筋縄ではいかないのがいま生きているわたしなのだ。
ああでも悲しいのはいやだな。無になりたいな。無ってなんだよなんだけど。
否定されるのが悲しかったらそうされないところにいけばいいだけなのだ。それはわかっている。まあわたしはいつでもそうやって決断して自分でどっかにいくのだからそれでいいのだ。