きこえてきたこと

哲学、読書、文学、宗教、映画、日々のこと。

生きて役に立つ必要があるのだろうか

 最近思うのだけど、「わたしは〇〇の役に立っている」ということは、自分が判断することではなくて、他者からいわれることなんだろうな。

 自分の基準では「これができる」「ここまでがんばった」ということが言えるかもしれないけど、それが自分でないなにかの「役に立っている」のか本当のところはわからない気がする。でも、会社に勤めていれば給与というかたちで、労働対価として「役に立った」証拠をいただける。

 でもほんとうは、誰かに「ありがとう」といわれることでいいのではないかとも思う。

 会社でも「ありがとう」と言われることで相手の役に立ったなということがわかる。家族でもそうあればそれでいいのじゃないかなと思う。街でたまたま助けた見知らぬ相手(まあ親切という行為かな)でもいいじゃないか。

 誰もが大それたことを成し遂げて社会の役にたっているわけじゃないし、そういうなにかすごいわたしを目指さなくてもいいのじゃないかなと思うようになった。

 だから自分がいまどんなことをやっててがんばってて成果があってとか誰かにいいたいこともなくなるわけで。たまにはあるけど。

 いつも「ありがとう」といってくれるひとがいるからいいのだと思う。

 そういう人が増えたらいいのになと思う。でもその「ありがとう」が聞いていても自分に届いてないときもあるよなとも感じる。結局自分が定まらないということだけだなあ。自己顕示欲、承認欲求でわたしは生きているけどそれに苦しむものでもあるのよね。