身体的に年を取ったと思う。そう感じる中で自分の価値が低下しているかもと感じる。自身がなくなり臆病になっているのかも知れない。さみしくてかなしい。その根源は自分が頼りにならないからだ。
若く未来が必ずある、明日が当たり前にあるという心からちょっと変わってきた。老いというものに向き合い、未来は老いとの折り合いをどうしたもんかと思案することのようになってきた。
誰にも大事にされていないという気持ちが拭えない。
親もきょうだいも年老いた。子どもたちはそれぞれの未来がある。気が合わない結婚生活をするよりは気が楽だとは思うけれども、誰かに必要とされていないというのはさみしいものでもある。勝手な感情だけれども。
自分が頑張らなくてはとおもっていることは本当はそんなことないのかもしれない。頑張らなくてはという心の裏には見返りへの欲望があっただけなのかもしれない。自分では否定していても。
だとしたらますます自分の機嫌は自分でとるようにしなくてはいけないなあ。
まずは自分に聞いてみた。今日はデカフェにするか、ドリップコーヒーにするか。なんのしがらみもなく好きな方を選んでねと。めんどくさくない方とか在庫の量とか考えないで、いま飲みたい方を。
頼りにならなくなった自分に語りかけながら進むしかないのかな。