きこえてきたこと

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『ワンダーウーマン』『ワンダーウーマン1984』

 MARVELの映画は割と見ているのだけど、DCは見てないなと思って何気なくAmazonPrimeVideoで見た。

 ガル・ガドットの演じるワンダーウーマンが結構私の理想なのだ。

 ワンダーウーマンであるダイアナが人目から避けられたアマゾン(女性だけ)の島からスティーブ・トレバーを海で助けることで軍神アルスの起した戦争を止めに飛び出す。こいつを倒したら戦争が終わる!と思った悪人も結局は本当のアルスの手駒の一つでしかなかった。

 まっすぐなダイアナは、人間は救うに値しないと絶望してしまう。そういう自分事でない感じ、わたしにもないか?自分も人間なのに。

 スティープに絶望の中に信念を持つということを身を以て教えられたダイアナはアルスに打ち勝つ。

 今の世の中のことなんだなと思う。だれもが他の人の責任にして、こいつが悪い!と思っているけれど、そこにわたしも含まれるのだよね。いろんなことが渦巻くこの世界の中で、わたしはわたしとして生きるしかないのだということを思った。

 

 こちらは1984年のダイアナ。

 なんでも願いの叶う石にお前自身になりたいと願いを掛けた詐欺師が世界中の人々の願いを叶え続けていくと世界が核戦争で破滅に向かうというもの。

 ダイアナは、前作でなくなったスティーブが生きることを願い、それが叶ってしまう。それまで願っていた唯一の幸せを得られたものの、ゼウスの娘としての力を失っていく。そのなかで悪が巨大化していくときに、スティーブ自身が、「願いを取り消すんだ」とダイアナを説得する。短いけどすごくいい場面だった。

 人間の願いってどういうものなのかというのを映像を通して小さな物から大きなものまで、生きている一瞬に出る悪意に満ちた感情から、深く長く願ってきた愛まで。でもそれは本当に、当人が他者のため、みんなのためにと思っていても、自分の為だということを出ないんだなと感じた。

 最後にこの騒動は、なにか悪役を倒すことで終わるのではなかった。たぶんだけど、マックス(願いの石になった人)の息子の「パパが偉大な人になって欲しい」という願いが、マックス自体が願いを取り消すということにつながったんじゃないかなと思っている。

 この映画は二つとも、上映当時は評判が芳しくなかった様だけれど、ストーリーとしては現実のわたしに訴えかけてくるものがあって、ただのエンターテイメント終わらなかった。